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全国城めぐりネット

 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  水城(みずき) 福岡県太宰府市・大野城市 2014.10.16 訪問
 〜 築城者 中大兄皇子(大和朝廷) 築城年 天智3年(664年) 遺構 土塁 〜
水城は664年に築造された土塁で、663年白村江(はくすきのえ)の戦いで敗北後、大野城や基肄城(きいじょう)などと共に築造された防衛施設です。土塁は国分側の丘陵と住宅街になっている正面の吉松丘陵との間の1.2kmを塞ぐように作られた人口の盛土です。土塁の下には樹木の枝葉が敷かれています。これは敷粗朶(しきそだ)工法といい、基礎の滑りを抑える工法で、調査で確認された枝葉を見ると落葉樹に葉が付いていること、果実が未成熟であること、葉の大きさなどから初夏(5月下旬〜7月)に敷き込んだと推測されます。その敷粗朶の上に盛られた土塁は、質の異なる土を交互に突き固める版築工法によって造られています。土塁は大きく2段に造られ、幅77mの平坦な土塁(下成土塁)の上に、幅23m、高さ5mの台形状の土塁(上成土塁)がが造られています。博多側にテラスが設けられていることは、防衛上不必要と考えられ急角度の上成土塁の地滑り防止のために造られた抑え盛土と考えられています。現在水城跡周辺には住宅が迫ってきていますが、土塁を挟んで博多側(向かって右側)には幅60mの外濠ががあったとされ大宰府川(向かって左側)には内濠があったと考えられています。眼下には県道と市道が通っていますが、手前の市道付近を奈良時代に官道が通り、大きな礎石がある付近に東門があったと考えられています。正面に水城跡を眺めると、真正面に遠く背振山(せふりやま)を望み、水城の中央付近を御笠川(みかさがわ)が流れ、鉄道・高速道路・国道が横切っていることがわかります。九州自動車道については、この水城跡の隙間(御笠川付近)を通過する計画が出された際、景観の問題が議論され、トンネル工法や迂回させる方法などの代替案が検討されました。しかし、御笠川や鉄道の地下を通過することでの安全上の問題、さらに多額な費用が掛かるなど様々な理由から、ほぼ当初の計画通りに決まりました。ただし、景観に配慮し、道路の高架の高さを水城跡の頂部より低くすることになったのです。よって、現在見るような低い高架が造られ、地面すれすれに高速道路がが通っているのです。(太宰府市教育委員会が現地に設置の案内板「特別史跡 水城跡」より)
JR水城駅を降りて、水城西門跡など吉松地区から巡りました。ふるさと城跡公園にあった案内板より、水城跡・文化遺産めぐりマップ。  JR水城駅のホームの案内標示…
 
JR水城駅を外部より撮影…
 
ふるさと水城跡公園…  水城の土塁は「版築工法」で造られているが、そのモデルが展示されている。 特別史跡水城跡の案内板 水城の構造と土木技術の説明などが… 
 全体概略図部分を抜粋、拡大…
大野城市文化財めぐりのマップ。水城跡のほかにも多くの遺跡が …  土塁断面観察地点(整備中)…
   
上の写真の断面部分を東南側から見る…
 
先の断面部分側から線路越しに若松側を見る… 右側にJR水城駅…JR鹿児島本線の特急列車。向こう側に見えるのは水城の水城西門側の土塁の端
土塁断面観察地点から北東方面へ、土塁上を少し歩いてみる…
水城跡の周囲には、基肄城席、大野城が同時期に建てられ、大宰府を守っていた。この図で分かるように、博多湾から鴻臚館(外国からの施設の接待所)から、まっすぐ降りてきた場所に大宰府があり、その防衛のために、水城などが造られた。 東側に向かって歩く…右側にちょっとした広場になっている
      
JR鹿児島本線の方に戻り、土井踏切を割る。遠くに水城駅とその左に水城跡の土塁…
 
 吉松宝満宮・八幡宮入口にある猿田彦大神石塔 宝満宮・八幡宮 藩政時代に尊田・吉松で各々祀られていた八幡宮・宝満宮が合祀されている。 太宰府市吉松にある観音堂と地蔵堂。観音堂には、十一面千手観音菩薩を祀り、四国23番札所となっている 
     
 島本遺跡 水城西門を通り、筑紫館(鴻臚館)に通じる官道跡の遺跡。 西門がこの辺に…最初は掘立注の門で防御的機能を持っていた。奈良時代には外国使節団に日本の国力を誇示するため、礎石を用いた瓦葺の壮麗な門に建て替えられた。更に、平安時代初めには大陸との関係悪化によりぼぎょ性を強化し多聞へと改築された(古都大宰府保尊教会が作成のパンフより)
     
 特別史跡水城跡の調査結果…大野城市が平成19年3月に現地に設置の案内板より 「特別史跡 水城跡」の案内板…大野城市教育委員会が設置の案内板
 
 右側の土塁が水城跡…「特別史跡 水城跡」の案内板  土塁上を歩く…
土塁の最後の方の部分…この緑の部分も土塁の下成土塁葉随分広い。…史跡の部分だが住民が畑として利用しているケースもあるみたい。
 土塁上の尾根状の道を歩いた…
   
 三JR水城駅を右に見て、反対側に行く…  「ふるさと水城跡公園」を過ぎて、土塁の麓の道を歩く…  尾根状の土塁の上を歩く…
       
 御笠川、西鉄寄りの土塁の端…  若松側土塁の端の部分(西鉄、九州縦貫道の手前の個所)
     
 眼前に、九州縦貫自動車道と西鉄の線路が見えた。この高速道路は景観保護のため効果の高さを低くしたとか…
 
上の案内板にあった「水城断面図」部分を抜粋…
  
 御笠川に沿って北上し、この水城橋を渡り、西門跡方向へ… 水城橋を渡ってすぐ右の「老松神社」に…太宰府市の旧水城村の産神として祀られている神社。老松神社は天満宮の神木とされていた老松が神格化されたもの。
     
 水城跡第2広場 向こう側に東門側の土塁が見える…  水城第2広場…遠くに九州自動車道と西鉄野線路が見える  筑水城第2広場にあった案内図…この辺の位置関係がよくわかる
     
 県道に面した、水城大堤の碑の反対側の土塁…賽ノ神(さいのかみ)が県道側に  特別史跡「水城跡」の標示柱…
     
水城大堤の碑…後ろに水城展望所 水城東門の礎石…本来の位置からは移動しているかの末井が高いとのこと。
     
 東門礎石の横の石碑…  礎石の隣で発掘調査中のようだ… 右の山が展望所…
     
 休憩所が見えてきた、もう少しだ…  この階段を上がると眺望が開ける… ちょっと雑草が多いが…
     
 史跡水城後?と読めるかな? 展望所から、県道越しに、水城跡(賽ノ神方向)を見る…  
     
 判読困難だが、「水城跡」?
 
 この辺には多くの石碑が…水城跡の碑?
     
尾根を少し歩いて、左側に回り、東門礎石のところへ戻ってきた…   太宰府市コミュニティーバス 「特別史跡水城跡東門前」バス停
     
国分・水城地区の文化遺産…
 
アクセスJR九州 「水城」駅、西鉄「都府楼前」から徒歩…
 ※「水城ー福岡県太宰府市・大野城市〜新羅・唐からの侵攻に備えて664年に築造〜 基底部の幅約80m、高さ約9mの大規模土塁」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。

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